少し距離が近づく編

夏になり、制服も白地に紺の衿のセーラー服へと衣替えをした。タイも赤色に変わって、その夏らしいデザインは真央のお気に入りだった。同じクラスの女の子たちにも人気が高い。とはいえ、いまは夏休みの真っ最中。やっと少し学校にもクラスメイトにも慣れてきたのに……と、少しだけ残念な気もするけれど、こんなに暑い中を毎日登校しなくてもいい、というだけでも嬉しいというのが本音だった。
それなのに、真央はいま通学路にいた。今日は図書委員の当番だからだ。
「はぁ……今日もすごく暑い……」
『本日の最高気温は三十四度、外出は控えた方がいいでしょう』と、テレビのお天気キャスターが言うのを横目に、リビングを通り過ぎて玄関のドアを開けて後悔したのはほんの少し前。
「うう、無理……今すぐプールに飛び込みたい」
アスファルトから湯気が出ているように見えて、歩く先の景色がユラユラと揺れている。歩いている人も暑さのせいで、みんな肩を落として歩いているように見えた。
(夏って元気な季節なイメージなのにね?)
そういえば夏といえば蝉の声が聞こえるのに、暑すぎて蝉も鳴く元気がないのか聞こえないことに気付いた。
自然に生きる蝉すらも黙らせる気温ならば、人間がバテるのも当たり前だなと思いながら静かな道を歩き、なんとか学校に到着する。家から学校まで十五分程の距離なのに額から汗が零れ落ちる程で、図書室に入るなり涼しさに思わず目を閉じてしまった。
「涼しい……ここは天国……」
そう呟くと、クスクスと控えめに笑う声が聞こえて目を開く。そこには今日の図書委員当番が一緒の大戸美恵が立っていた。
「お、大戸先輩!」
二年生の大戸は、ひとつ年上というだけなのにとても落ち着いていて、真央の憧れのお姉さん的存在だった。
(大戸先輩に笑われちゃったよ~)
変な子と思われたら、当番が終わるまでの数時間が気まずくなってしまう。
だが、真央のそんな心配を吹き飛ばすように、大戸は笑いかけてきた。
「本当、今日暑すぎるよね。私、暑いから今日は図書館当番なしになりましたっていう連絡待ってたのに来ないんだもん。酷いと思わない?」
「え? あはは、そうですね」
(意外!先輩でもそんなふうに思うんだ〜!)
先輩のくだけた様子に少し驚きながらも、親しみを感じて真央が笑ってしまったところで、図書準備室にいた司書の先生がひょっこりと顔を出す。
「ほら、お喋りはそこまでにして、図書室を開ける準備をしますよ」
真央と大戸は肩を竦めて、先生の方へと近寄る。
夏休み中に図書室の当番に来たのは初めてで、どんな事をするのかと緊張していた真央に、大戸は『いつもの当番と変わらないから大丈夫』と優しく教えてくれた。
基本的にカウンターに座り、貸出のチェックをするのが図書委員の仕事で、生徒がカウンターに来ない間は本を好きに読むのも良し、宿題をするも良し、と規則は緩い。
夏休みに学校の図書館を利用しに来る生徒はまばらで、先週先輩が当番に入った時の利用者はたったの三人だったらしい。
今日はどのくらい来るのかを予想しつつ、真央が大戸と分担して本を棚に戻していると、図書室の引き戸がガラッと開いた音が聞こえた。
(今日のお客さん第一号だ)
外出を控えた方がいいとテレビが言う程の炎天下に来るくらいだから、受験を控えた三年生かと想像しながらいそいそとカウンターへと戻る。
「嘘……」
入口に立っていたのは、同じクラスの中原だった。
(中原くんが図書室に来るなんて……どうしたんだろう?)
彼はまだ真央の存在に気付いていないようだ。
(まあ、そうだよね。誰が図書委員かなんて普通知らないだろうし……)
同じクラスメイトとして、挨拶くらいはした方がいいのかどうか迷っていると、辺りを見回していた中原と目が合った。
「あ、清水だ。図書委員だったっけ?」
「うん。中原くんは? 宿題やりにきたの?」
「いや……ああ、でもそうなのか……?」
中原の返答は曖昧で、彼自身が首を傾げている。
(遊びにきたって感じじゃないし……どうしたんだろう?)
つられて真央も首を傾けてしまっていると、いつの間にかカウンターに戻って来ていた大戸に笑われてしまい慌てて首を元に戻す。
「えっと、宿題じゃないってなると……本を探しにきたとか?」
再び質問すると、中原が無言で首を縦に振る。
「じゃあ、このメモにタイトルを書いてもらえれば棚に案内するよ」
メモを差し出したけれども、受け取らずに今度は首を横に振った。
「タイトルはない」
「え?」
「読書感想文の本を探しに来たんだ。何かない? 簡単に読めて、すぐ書けるやつ」
誰もが思う、読書感想文の本への注文だ。
「探すのが面倒だったら、課題図書がおすすめだけれど」
話を横で聞いていた大戸がアドバイスをくれる。
「え、あれ分厚いから、無理。もっと薄いのが希望」
「あれ、分厚いけれど字は大きめだし、そんなに話も長くないからすぐ読めるよ?」
追加で教えてくれた詳細も、中原的にはあまり惹かれる内容ではなかったらしい。
「小学校ん時、同じ事言われて課題図書で書いて面倒だったから嫌なんだ」
先輩だと思っていないのか、中原はフランクな態度で返すので真央はヒヤヒヤしてしまう。
「そっか、じゃあ他のを探すしかないね。清水さん、何かある?」
大戸が今度は真央に話を振ってきた。
「薄くて読みやすいのですか……」
図書委員とはいえ、まだそんなに本に詳しくないので、すぐにタイトルが出てこない。
(そうだ! 棚を見ながら探せば、中原くんにピッタリな本が見つかるかも!)
カウンターを出て中原のいる方へと回る。
「中原くん、一緒に読みやすそうな本、探そうよ」
「当番中なんじゃないのか?」
「本を探すのも当番の役目だから大丈夫……ですよね?」
カウンターの中にはもう一人いるし、貸出の人が来ても迷惑にはならないだろう。
確認がてら大戸の方を見ると『いい本が見つかるといいね』と笑ってくれた。
「短くて読みやすそうな話が載ってる本の棚はこっち……かな」
あやふやな記憶を頼りに進む真央の後ろを、中原がついてくる。

「……清水はさ、宿題もう終わった?」
図書室で話すのはマナー違反だと意識しているのか、中原は小声で話しかけてきた。
「う、ううん、全然だよ~あ、でも読書感想文だけは終わってる」
「えっ!? それもう宿題が終わったも同然じゃないか……すごいな」
中原に羨望の眼差しをされてしまい、少し照れてしまう。
「そんなにすごくないよ、当番の時間中に書いただけだし」
図書委員の特権と言っていいのか分からないが、いつも当番の間は本が読み放題で、夏休み前には自分の選んだ本だけでなく課題図書まで読んでしまったくらいだ。
司書の先生が感想文を書くコツを教えてくれたので、小学校の時は苦手だった読書感想文が嘘のようにあっと言う間に書き終わってしまった。
夏休みにまで学校に来なくちゃいけないのは嫌だなと思っていたけれど、図書委員も悪くないなと現金なことを思ってしまったことを中原に話す。
「……なるほど。俺も来年は図書委員になるのもアリかもしれない」
「中原くんが図書委員!?」
どちらかというと図書室のような静かな場所よりも、活発なタイプな気がするので思わず声が大きくなってしまった。
カウンターの方から咳ばらいが聞こえ、真央は思わずそちらの方向に頭を下げる。
「そんなに驚くことないだろ」
「だって、分厚い本は嫌とか言ってたし……本に興味がないのかなって思って」
第一、中原の入っている部活は体育会系で、放課後に図書室の当番に出れないはずだ。
「図書委員ってのは冗談。感想文終わってて羨ましいって思っただけ。それより、おすすめの本はこの辺の棚にあるのか? 俺、もうすぐ部活が始まるからあんま時間ないんだよ」
よく見れば中原は肩から大きなスポーツバッグを提げていた。
「あ、そうなんだ! じゃあ、急がなくちゃだね」
体育会系の年功序列は厳しい。一年生は上級生よりも早く来て、練習の準備をしなくていけないのだそうだ。
外から見れば上下関係なく仲が良さそうに見えるけれど、練習となるとそこには外からは見えない、部活内のルールというものが存在するみたいだった。
(中原くんも大変だなぁ……)
そう思うと、真央の部活はのんびりとした活動なので、夏休みも殆ど部活の日がない。
だからこうして図書委員の当番に入っているのだけれども、冷房の効いた部屋にいる真央に対して、中原はこれから暑いグラウンドで部活の練習をするのだ。
(だから薄くて読みやすい、時間のかからない本なのかな)
部活に全力ならば、本を読む時間さえ惜しいのかもしれない。
そんなふうに何かに打ち込めるものがあるのが、ちょっぴり羨ましいと真央は思う。
「あ、この本とかどうかな?」 一冊の本が目に入り、真央は棚から引っ張り出す。
中原の部活がテーマのこの本ならば、読みやすいだろう。
「ちょっと読んでみてもいい?」
「もちろん」
中原は棚から少し離れ、椅子に座ってページを捲り始める。

図書室の大きめの窓から差し込んだ夏の太陽の日差しが、中原の横顔に影を作る。
白いシャツが眩しくて目を細めていると、中原がパタンと本を閉じた。
「ダメだった……?」
尋ねた真央に首を横に振って答える。
「これ、借りてく。どうやって借りるの?」
「借りてくれるの!? カ、カウンターに案内するね!」
どうやら真央の本のチョイスは気に入ってもらえたようだ。
(すごいすごい! 私の選んだ本を借りてくれる!)
今まで誰かに本を勧めたことなどなかったので、嬉しさが真央を包む。
貸出カードを渡し、名前を記入すると中原は急ぎ足で図書室を出て行ってしまった。
「はい、貸出カード。指定の場所に入れておいてね」
大戸に手渡されたカードには、中原の名前が記入されていた。
(へえ、中原くんってこんな字書くんだ……)
思えば絵を描いてあることは見ても、字を見たのは初めてだ。同じクラスとはいえ、あまり見る機会は少ないことに気付く。
(カクカクしてる……私とは全然違う)
真央の丸っこい文字とは違った、スラリとした綺麗な字。
「なんか、意外……」
そのギャップになぜだかドキドキしてしまう。
でも、意外だね、なんて告げたらきっと、今日のように無言で首をかしげられてしまうかもしれない。
そんな想像が浮かんで、真央は思わず笑ってしまった。