青春のはじまり編

春――
小学生から中学生へ。
ほんの一学年変わるだけなのに、制服を着るというだけでちょっとだけ大人の仲間入りをしたような気分になる。
濃紺に衿に白の三本ライン、そして白いタイのセーラー服。
それが清水真央の通う中学の制服だった。
(うーん……まだ見慣れないなあ……)
制服の真新しさが無くなった頃には、セーラー服の似合う自分になっているんだろうか。
少し先の未来を思い描いていると、母親の声が聞こえてきた。
「真央~! ご飯食べないと遅刻しちゃうわよ!」
時計を見ると、あと三十分で家を出なくてはいけない時間だった。
「やばっ!」
慌てて鞄に今日必要なものを詰め込んで、真央は自分の部屋を出る。
リビングにはお味噌汁の香りが漂っている。
今日のおかずはポパイエッグで、目玉焼きの黄身の部分が綺麗な半熟になっているのが見えて、お腹がぐうと鳴りそうなくらい美味しそうだ。
自分の定位置に座ると、母親がお茶碗を置いてくれた。
「あ、もうちょっと少なめで!」
「若い子がダイエットとか気にしないの! 朝ご飯をちゃんと食べないと一日を乗りきれないわよ!」
「ダイエットじゃなくて、時間がないだけだもん!」
真央だって大好きなご飯をちゃんと食べたい。
でも、それを時間が許してくれないのだから仕方がない。
テレビの画面に出ている時間の表示を見て、母親は苦笑しながらご飯を減らしてくれた。
急ぎつつもしっかりと出されたご飯を食べて、真央は元気に中学校へと出発した。

中学になると勉強も小学校とは全然違ってくる。
それぞれの授業ごとに先生が違うというのも新鮮だった。
初めの一週間くらいは新しい教科書をめくるたびにワクワクしていたけれど、本格的に授業が始まって来ると、黒板にたくさん書かれた内容をノートに書き写しているだけであっという間に授業が終わってしまう教科や、先生の雑談で終わってしまう授業があったりと、様々だった。
「次ってホームルームだよね? 何やるんだろうね~」
中学新しく友達になった渡辺亜美が話しかけてきた。
「委員会決めは終わったし……部活の説明とかかな?」
確かもうすぐ仮入部を決めないといけないはずだ。
「真央ちゃんは部活どうする?」
「私? まだ悩み中……たくさんあって迷っちゃうよね」
「本当だよね~体育会系か文化系かでも悩んじゃうし! あと、怖くない先輩がいるところっていうのも大事!」
「あはは、確かに」
そんな話をしていると、担任が教室へと入ってきた。
手にはスケッチブックをたくさん抱えていて、それを教卓の上へと置く。
「今日のホームルームは、絵を描いてもらうぞ~! 学校内のどこでも自由だ、ひとり一枚、必ず描いて提出すること」
突然の内容に、教室内が一斉にざわめく。
担任の説明によると、これはこの学校の毎年恒例の行事らしく、新入生は必ず描くことになっているらしい。
どの場所を描くか校内を歩くことで、学校内をはやく覚えてもらえるようにという目的で行われ、真央のクラスだけでなく一年生は全クラス同じ時間にやるのだという。
他のクラスはもう説明が終わったのか、廊下からは賑やかな音がし始めて『どこ行く?』『外行こうぜ! 外!』などの声が聞こえていた。
「スケッチブックと画用紙を一枚ずつ持って行けよ」
担任の説明が終わり、各々が教室を出ていく。
中には教室の窓から風景を描こうと思っているのか、移動せずに席に戻る子もいた。
真央は亜美と共に教室を出ると、どこに行こうかと話ながら廊下を歩き始める。
「せっかく描くなら、綺麗な場所がいいよね! 中庭とか行ってみる?」
「そうだね! じゃあ……あっ!」
「ど、どうしたの?」
亜美と共に中庭に向かおうとして、真央は忘れ物をしたことに気付いて思わず声をあげてしまった。
「消しゴム忘れちゃったみたい……」
前の授業の時、使った後にそのまま机の上に置きっぱなしにしていて、筆箱に入れた記憶がない。
確認の為に筆箱を開けてみると、やっぱり入ってなかった。
「わたしの一緒に使う?」
優しい亜美ちゃんはそう言ってくれたけれど、スケッチとなると、何度も描いては消しを繰り返すはずだ。
お互い遠慮し合って、これが原因で気まずくなったりするもの嫌だなと真央は思う。
「ありがとう。でも、消しゴムいっぱい使うと思うし、教室に取りに戻るね」
「じゃあ、わたしも一緒に……」
「付き合わせちゃうの悪いし、先に中庭に行ってて! すぐに追いつくからね!」
「うん、待ってるね~!」
亜美と別れ、真央はスカートを翻しながら回れ右をして教室へと戻る。
目的の消しゴムは、ポツンと机の上で真央を待っていてくれた。それをしっかりと筆箱へと入れ、再び教室を出る。
(急げ、急げ~!)
亜美に追いつく為に走ろうかと思ったけれど、小学校の頃から『廊下を走ってはいけません』と言われ続けていたのもあり、つい心の中でブレーキがかかってしまう。
結局、中途半端な早足で中庭へと向かった。
「……あれ? あれれ?」
中庭に着いてみると、数人がスケッチをしていたが亜美の姿が見当たらない。
(もしかして、中庭って他にもあるとか……?)
まだ校内をぼんやりとしか理解していないせいか、真央と亜美の間に解釈違いがあってもおかしくない。
「ど、どうしよう……」
少し待ってみたけれど、亜美の姿は現れない。
(他に中庭っぽい場所……あ! 正門の前にも庭っぽい場所、あったよね?)
木と花壇がある場所が頭に浮かび、真央はそこに移動する。
「……やっぱりいない」
このままだと、探しているうちに時間が来てしまう。
(亜美ちゃんには後で謝まることにして、ここで描いちゃおう)
不安と心細さで胸がいっぱいになりながら目の前にあった花壇の端に座り、真央はスケッチを始めようと横に置いた色鉛筆に手をのばす。
「……それ、俺の」
「えっ!?」
急に横から聞こえてきた低い声に驚くと、そこには同じクラスの中原翔太が座っていた。
彼とは同じ小学校だったけれど、同じクラスになったことはなく、名前だけ知っている存在だった。
中学に入って同じクラスでも男子と喋る機会はまだ少なくて、中原の声をちゃんと聞くのも今日が初めてな気がする。
「それ、俺のなんだけど」
もう一度言われ、真央は自分の左手で掴んだ…中原との間に置かれていた色鉛筆に視線を落とす。
そして、右側を見ると、そこにも色鉛筆のセットが置いてあった。
「ご、ごめん! 私のこっちにあった!」
慌てて中原の側へ色鉛筆を置き、今度はきちんと確認して自分のものを手に取る。
(あぁ~間違えるなんて、恥ずかしい……)
きっと自分の顔は恥ずかしさで赤くなっているだろう。
(とにかく、絵を描かなきゃ……! 落ちつけ私……!)
大きく深呼吸をしてから真っ白な画用紙に描き始めようとした真央だったが、チラリと見えた中原の画用紙はだいぶ描きこまれていて、つい横目で眺めてしまった。
「何?」
覗き込んでいる真央の視線に気づいたのか、中原が再び声をかけてきた。
「あ、もういっぱい描いててすごいな~って思って」
「すぐに描き始めてたから……って、清水はそれ、間に合うのか?」
中原は真央の白い画用紙を見て心配そうな声をあげる。
「い、今から頑張って描く。きっと間に合う……はず!」
そう宣言すると、中原はすこし呆れた表情で真央を見てから、すぐに自分の絵にまた視線を戻す。
「まあ……頑張れ」
気を抜いたら聞き逃してしまいそうな、小さな声だったけれど。
心細かった真央にとって、それはとても大きな励みの言葉となった。

短い時間の中でなんとかスケッチを完成させ、無事に提出することが出来た。
教室に先に戻っていた亜美に謝りつつ話を聞くと、やはりお互いの中庭の解釈違いで、亜美は校庭の奥にある花壇の方へと行っていたらしい。
きっともうしばらくは大なり小なりこんな勘違いが多く起こりそうだ。
(やっぱり、はやく校内を覚えなくちゃね)
掃除をしながら今日の反省をしていると、同じ掃除当番だった中原が真央に近寄って来た。
「床の掃除、終わったから」
今日の日直である真央は、掃除のチェックをして担任に報告する係なのだ。
「あ、じゃあ最後にゴミ箱を……」
「わかった」
言い終わらないうちに中原がゴミ箱を持ってくれた。
ゴミ捨ては日直の仕事なのに、手伝ってくれるらしい。
お礼をいう間もなく廊下に出てしまい、真央は追いかけるようにして後に続く。
途中でようやく隣にならぶ。
「中原くん、さっきはありがとう」
「さっき……? 今じゃなく?」
中原は不思議そうな顔をする。
淡々としているのかと思ったけれど、結構顔に出るタイプなのかもしれない。
そう思うと、自然と笑みがこぼれていた。
「そう、さっき! スケッチの時、ありがとうって言い忘れてたなって思って」
頑張れと言ってもらえたから、スケッチを描くことができた。
だからお礼をしたのだと告げると、中原がふいっと視線を横へと反らす。
「……それぐらいでお礼とか言われても……」
どうやら中原を困らせてしまったらしい。
「じゃ、じゃあ、追加でゴミ箱持ってくれてありがとう!」
「追加って……お礼に追加とか初めて聞いた」
「変かな?」
「変だろ」
中原が笑い、つられて真央も笑う。
ぎこちなかった二人の間に、少しだけ柔らかな空気が流れ始めた気がした。
(中原くんと仲良くなれたらいいな……)
これがきっかけになるかもしれないし、ならないかもしれない。
でも、少なくとも今日のことで真央は中原が気になる存在になったのは確かだ。
真っ白な画用紙だった真央の心に、これからどんな絵が描かれていくのだろうか。
(一年間、よろしくね)
隣を歩く中原の横顔が、なぜか大人びて見えるような気がした。