ふたりのヒミツ編

あんなに暑かった日が嘘のように涼しくなり、ほんのりと木々が紅葉に染まり始めた。涼しげだった夏服も衣替えをし、濃紺の冬服へと変わっていたある日の午後。先生たちの研修があるとかで、今日は学校が午前中で終了となっていた。
とはいえ、秋の大会が近い一部の体育会系の部活はいつも通り部活があるらしく、『せっかく午前中で授業終わりなのに!』とバレー部に入った真央の友達は愚痴を零しながらジャージに着替えて体育館へと走って行った。
真央の部活は顧問の先生がその研修に関わっているようで休みになり、授業が終わったら今日はお弁当がないので、お腹を空かせた状態で家に着く。中間テストの期間でもないのに、こんな早い時間に家に帰って来るのは不思議な気分だった。
「ただいまー」
帰宅の挨拶をすると、キッチンから母親が顔を出した。
「おかえり、ちょうどいいところに帰ってきたわね」
「今日のお昼ご飯、何? もうお腹ペコペコだよ~」
靴を脱ごうとすると、母親からストップをかけられた。
「そのお昼ご飯なんだけれどね、食パンがあると思ったら無かったの。悪いけどお買い物行って来てくれる? ほら、学校近くのパン屋さんあるでしょ?」
「ええーっ!?」
「お鍋かけてるから手が離せないのよ。早くご飯食べたいんでしょ?」
「でも、わたし制服だし!」
昼間に制服でお店にいたら、店員に変に思われないだろうかと心配になる。
「近所なら今日が午後から学校がお休みって分かってるだろうし、大丈夫よ。ほらほら、行かないともっとご飯が遅くなっちゃうわよ」
半ば押し付けるように母親は小銭入れが入っているエコバックを渡してきた。
「も~行ってきます」
ここで行かないと母親と口喧嘩をすることも出来るが、そうなるとますます昼ご飯が遠ざかる。
(先生とかに会いませんように……!)
親の手伝いなのだから、怒られるような事をするわけではないのだけれど、ちょっとだけ校則違反をしているような気がする。
ドキドキと鳴る胸を押さえながら、真央はパン屋へと向かった。
途中、掃除当番などで遅くなったのか帰宅中の同じ中学の制服の人と何度かすれ違い、学校の方に向かう真央とすれ違うと不思議そうな顔をしていることに気付いた。
(きっと忘れ物でもしたんだろうなって思われてるよね)
置いてくれば良かったのに、気付けばエコバックと一緒に鞄まで持っていた。
何となく恥ずかしくて俯きがちに歩きながら目的のパン屋に辿りつく。
店内に入ると落ち込んでいた気分は、パンの焼ける香ばしい匂いに乗って飛んで行った。
(あ~どれも美味しそう! どうせならおやつも買っちゃおう!)
いつも母親が買っている食パンと、お使い代としてちゃっかり袋に数個入りのミニドーナツも購入する。
エコバックへとそれをしっかりしまい、さて帰ろうと歩きだした瞬間、背後から真央を呼ぶ声が聞こえた。
「あ、校則違反」
聞き覚えのある声に振り向くと、そこには中原がいた。
「買い食いか~明日、担任に報告しなきゃな」
真央をからかうように、中原が悪戯っぽく笑う。
「ち、違うよ! 帰ったらパンがないから買ってきてって言われてお使いしにきたの! な、中原くんこそ、こんな時間に帰ってるとか……買い食いしてたんじゃない?」
さっきの仕返しとばかりに真央が言うと、中原は少し疲れたようなため息を吐いた。
「急に一年生だけ呼びだされて、体育倉庫の大掃除させられてたんだよ……もう買い食いとか出来ないくらい腹ペコ」
この時間までやっていたのなら、相当みっちり掃除させられたのだろう。
(あれ? もしかして……落ち込んでる?)
なんとなく、いつもの中原らしくない気がする。
(でも、中原くんがいうように本当に疲れているだけかもしれないし……)
変に詮索して空気を気まずくさせたくない。
「うわぁ……それは大変だったね」
「お使いも大変だと思うけど……って、清水家に一度帰ってるんだよな?」
「う、うん」
「それ、鞄だよな? なんで持ってるんだ?」
気付かれたくなかったのに、鋭い中原は違和感に気付いてしまったようだ。
「つい……持って来ちゃって……」
「あははははっ! なんだそれ」
大声で笑う中原をあまり見たことがなかったので、真央はビックリして目を丸くしてしまう。
「あ……ごめん。清水ってそういうウッカリミスしなそうだったからさ、ツボった」
「う、ううん……私って、そんなしっかりしてそうに見える?」
「ああ、夏に読書感想文の本探しの時もすぐ選んでくれたし」
そんな風に見られていたとは知らず、嬉しいと素直に感じる。
つい最近のことのように思えるけれど、あれも一ヶ月以上も前のことなのだなと思う。

「清水も腹減ってるのに呼びとめて悪かったな。じゃあ……」
先に歩きだそうとする中原と、真央はもう少し話をしたいと思った。
「な、中原くん! お腹減ってるなら、これ、一緒に食べない?」
パンの入ってるエコバックを掲げると、中原が驚いた顔をする。
「でもそれ、親に頼まれたパンだろ?」
「あ、パンは駄目なんだけど……これならちょうどいいかなって」
エコバックの中からお目当ての物を取り出す。
「お菓子?」
「そう、ミニドーナツ!」
ドーナツ一個を食べるには多いけれど、ミニサイズならば食べ過ぎてお昼ご飯が入らないなんてことにはならない。
最近行き始めた塾の時にたまに持って行っている、真央のお気に入りのお菓子だった。
「パン屋さんのドーナツ、すごく美味しいから食べてみて!」
袋ごと渡そうとすると、中原の眉が困ったように下がる。
「もしかして、甘いの苦手?」
「いや、そういうんじゃなくて……これ俺が袋ごともらったら、清水の分がなくなっちゃうだろ」
どうやら中原は真央に遠慮しているようだった。
(別にいいのになぁ……)
そうは思っても、中原には中原のポリシーのようなものがあるのだろう。真央には分からない気持ちなのだと思う。
「じゃあ、私も一緒に食べる!」
「は?」
「それなら中原くんもドーナツ食べるんだよね?」
「ま、まあ……それなら」
中原の返事を聞いた瞬間、真央は手にしていた袋をバリッと勢いよく開けた。その唐突な行動に、中原が驚いたように目を見開く。
「ちょ、ちょっと! ここで食べるとかダメだろ! どっか座れる場所……!」
「この辺だと……う〜ん……」
二人して腕を組み、この辺りでベンチがありそうな場所を思い浮かべる。そして同時に『公園!』と声をあげ、笑いながら近くの公園へ向かった。
公園のベンチはちょうど一つだけ空いていて、真央は改めてドーナツの袋を取り出す。
「いただきます」
軽く頭を下げ、中原が袋からドーナツをひとつつまむ。続けて真央も同じようにつまんだ。だけれども、お互いドーナツを手にしたままで食べようとしない。きっと傍から見たらドーナツ片手に制服姿で何をしているのだろうと、不審がられる光景なのだと思う。
客観的に見た自分たちを思い浮かべて、真央はちょっと笑ってしまった。
「なに笑ってるんだよ」
「ふふふ、だって……ドーナツ見てるだけで中原くんが全然食べないから……あははっ!」
「それは清水だって一緒じゃん」
「あ、そうだね! ふふふ」
笑いがなかなか止まってくれない真央を笑いながら、中原がドーナツをパクっと口に入れる。一口で飲み込まれてしまったドーナツは、中原には物足りない大きさのようだ。
そっと袋を差し出すと、今度は無言でドーナツを取り出して口の中へと放る。
「美味しいでしょ?」
「うん、全部食っちゃいそうでヤバい」
中原が満面の笑顔になったのが嬉しくて、真央もドーナツを口に入れる。
空腹は最高のスパイスというけれど、今日のドーナツはいつもよりも更に美味しい気がする。
「私も、もう一個食べちゃお」
それを何回か中原と繰り返し、もともと数の入っていなかったドーナツはあっという間に空になる。
「あー……買い食い、しちゃったな」
「そうだねぇ……」
しかも、誰かに見つかってしまいそうな学校近くの公園で。
「ドーナツ食べたらもっと腹減った……帰るか」
中原の言葉に頷き、一緒に公園を出る。
ほんのりと甘い気持ちになったのは、食べたドーナツのせいなのか、それとも中原と一緒だったからなのか……

――それが分かるのは、もうちょっとだけ先のこと。