ユニフォーム ぽけっと
 
 
 
● 第一話
  ジャケットの袖ボタンはなぜあるか
● 第二話
  ラペルのフラワーホールについて

● 第三話
  セーラー服の歴史

● 第四話
  学ランの由来
詰襟の第2ボタン
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● 第五話
  3ボタン段返りディテールについて
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● 第六話
  セーラー服に関するQ&A
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● 第七話
  ブルマーの現状と来歴
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● 第八話
  レディスジャケットの内ポケットについて
 
第七話 ブルマーの現状と来歴
 


05 ユニフォームへの憧れは、いつの時代もあるもの。
その中でも、中年男性の思い出に強く刻み込まれているブルマーの来歴と現状を取り上げてみました。
きっかけは、あるテレビ番組の『最近見かけなくなったもの』取材がきっかけでした。


現在、ブルマーは完全に廃止されているのでしょうか?

ごくわずかに採用されています。 当社の販売実績では、幼稚園でいくらかあり、学校単位ではなく、個人購入も年間何百枚かあります。用途は、幼稚園以外は、下着を見せないために重ね穿きすることが多く、筆者が実際に聞いた方は、40代女性で、昔、中学高校とブルマー着用経験があり、今は通勤で自転車に乗る際、便利だからと話されました。


廃止された背景

現在ブルマーと言えば、ぴったりブルマーと言われている伸縮性のあるニット生地のブルマーだと思います。それ以前は、ちょうちんブルマーといわれ、織物性でシルエットがちょうちん型をしたものでした。ブルマーが世間の耳目を集めるようになったきっかけは、昭和39年(1964年)、東京オリンピックから正式種目に取り上げられた女子バレーボールだと言われています。野球や相撲以外はテレビで放映されることの少なかった時代だったので、日本チームが金メダルを獲得したバレーボールは注目度抜群。実は、オリンピックに出場した日本の女子アスリートで、ブルマー姿は、唯一バレーボール選手だけでした。その時、日本選手はややぴったりのブルマー姿でしたが、海外、特に日本と対戦したソビエトやポーランドの選手たちは、はでな赤い色のぴったりブルマーで、日本選手との違いが良くわかりました。国民の目には、日本選手の活躍と共に外国選手のかっこいいブルマー姿が焼きつき、その後、体育着を作るメーカーも、合繊メーカーと共同戦線を張って、合繊ニットのぴったりブルマーを販売するようになったので、急速に広がりました。さらに、生理用ナプキンなどの技術革新があったので、ぴったりブルマーを穿くことが可能になったことも重要な因子です。また東京オリンピックの翌年、イギリスのマリークァントがミニスカートを発表し、世界中でミニスカートブームが起こります。昭和45年(1970年)には大阪万博があり、パビリオンのコンパニオンはほとんどミニスカート、JALのフライトアテンダントや、バスガイドさん、お堅い銀行もスカートが短くなりましたから、脚を露出するのに抵抗がなくなりました。ぴったりブルマーは、そんな背景から体育着の定番としてポピュラーになったのです。

しかし、人からどう見られるかが気になる思春期の生徒にとって、足の付け根まで露出するブルマー姿は恥ずかしいものです。昭和40年後半には、既に、高校生や中学生は、脚が付け根から見えることを嫌い、ブルマーの上にジャージを着たり、長めのシャツで隠したりしています。昭和50年代に入り、主張がはっきりしている団塊ジュニア世代が、中学、高校と大きくなるにしたがって、その傾向は顕著になり、またジャージが広まってきたので、ブルマーの上からジャージのパンツをはいたりしていたようです。


最盛期のブルマー製造量と現在の生産数

とにかく1990年代以前は、ほとんどの学校がブルマーを体育着として採用していました。ブルマーを買うのは、幼稚園、小学校、小学校中、高学年、中学校、高校と、おおよそ 一人の人が、6枚買ったと想定されます。ピーク時は、昭和45年から50年代半ばと思われるので、その年にブルマーを買う6歳、買い替えの9歳、中学校に入る12歳、高校に入る15歳の女子人口は、おおよそ300万人、つまり、300万枚ほどが年間売られていたと考えられます。現在、実際にお店で販売されるのは幼稚園から大人サイズを合わせて3000枚足らずといったところでしょうか、ピーク時の1000分の1ですね。


ハーフパンツがブルマーにとって代わったのは何故?

ブルマーに代わって登場し、現在の体育着で主流になっているのが、ハーフパンツです。この背景を探ってみました。

1993年5月15日に、Jリーグが産声をあげました。その5年ほど前から、サッカー人気が高まってきて、Jリーグが始まる2年ほど前から、選手のユニフォームが話題になっていました。それがハーフパンツや、衿のないシャツ、ロングダウンコートなどでした。体育着メーカーも、ブルマーの次を模索している時期だったので、ハーフパンツや襟なしニットシャツなど、その要件をかなえたアイテムはうってつけでした。また、サッカーユニフォームにスパッツは付き物だったので、それまでタブーだったパンツの重ね穿きもOKだと認知させることになりました。なお、ブルマーに代わってハーフパンツが主流になる間のつなぎ商品としては、ショートパンツ、ボクサーショーツタイプ(いずれもニットではなく布帛)がありました。結局、それまでのジャージ素材による長そで、長パンツに加えて、ハーフパンツとTシャツの軽快なスタイルが体育着の主役になっていきました。当社の場合、ハーフパンツ、クォーターパンツやTシャツは1990年(平成2年)から企画され、翌年のカタログにそれまでのブルマーと共に掲載されています。


ブルマーの名前の由来は?

02 19世紀欧米は、今からでは想像できないほど、『男と右手の社会』でした。女性は、レディファーストの美名の下にその権利を制限され、男性の従属的な立場でした。服装では、男性はフロックコートに帽子、女性はきつく腰を締め付けたアワーグラスライン(砂時計のように中央がくびれたシルエット)が一般的で、雨が降ると、片手に雨傘、片手でスカートのすそをつまみ歩かねばならないような、不自由なスタイルでした。

そのような中、女性の権利拡大を主張した勇敢な女性たちがいました。1850年代の女権拡張論者 Mrs, Amelia Jenks Bloomer(アメリア J ブルマー)もその1人で、女性の権利拡大には、まず社会で働き、認められることだ、そのためには社会で働くにふさわしい見かけと衣服が重要だと考えていました。つまり、家庭婦人や社交界の花のようなスタイルではなく、男性社会の中で働く職業婦人のスタイルを模索していたのです。そこで、みずからがお手本となるよう、知り合いの女性が考案した、すそを絞ったズボンの上に膝丈のスカートを重ねた服装で、講演活動をしました。さすがに足を露骨に見せるのは彼女にも抵抗があったので、ご覧のような珍妙なスタイルとなっています。しかし、このスタイルは、女性解放運動の象徴というよりも、行く先々で哄笑と論議の対象となってしまい、肝心の話を聞いてもらえないため、数年であきらめたようです。実は、このスタイルこそが、『ブルマー』の原型で、当時、このようなアイテムの名称がなく、『ブルマー女史の着ている服装』という意味で、ブルマーあるいはブルマーズと呼ばれ、名称は定着しましたが、当時の服装としては、一般化しませんでした。

当時の宗教観では、男女が同じ服装をすることは考えられず、ましてや子を産む存在である女性が、股付き(ズボンのこと)の衣服を着ることなど、考えられなかったのです。しかし、時代を経て、20世紀に入り、自転車が発明され、自転車に乗ることが流行になり、テニスや乗馬が普及するにつれ、スポーツするための服装としてようやく日の目を見たのです。


女子体操服としてのブルマー

女子体操服として、セーラー服型上着の下にブルマーを着用するようになったのは、日本の女子体操教育の母といわれる東京女子高等師範学校教授 井口阿くり(いのくちあくり)が、導入してからです。女子体操教育研究の目的で、欧米留学した井口は、ボストンの学校で、体操服として着用されているブルマーに着目し、同様のアイテムを購入し、持ち帰りました。

03 日本女性の体格が欧米と比べ極端に劣ることに危惧を抱いていた政府は、明治36年(1903年)教育懇談会を設け、井口に講演させました。 井口は、米国で買ってきたセーラー服型ブルマーとスカートを引き合いに出し、洋装の利便性と、当時短袴と呼んでいたその短いスカートやブルマーが、機能的で姿勢もよくなると強調。 その後、いくつかの学校が採用する運びになりました。


セーラー服とブルマー

04 いくつかの学校では、セーラー服上着は共通で、通学はスカート、体操では、すそを絞ったブルマーを着用していました。 当時のブルマーは長く、織物で出来ていました。


ブルマーの普及

そのような経緯を経てブルマーは、普及していきましたが、それらは、織物で作られ、比較的長く大きいシルエット、腰ベルト部は紐で結ぶ仕様で、ほとんどが濃色でした。これは、日本の古来からある袴の後継と見られていたところから来ています。

02 戦後、ゴムが貴重品でなくなった頃から、ウエストにゴムが入ったブルマーが登場し、短パンとともに体操服の定番となっていきましたが、体操服そのものがまだ新しいアイテムでしたから、普及率は低かったようです。

なお、体操服として見た場合、短パンと比べブルマーは、すそからパンツが見えるのを気にしなくて良い、短パンが白主体であり、女性の生理時に困ることがあるなどから、次第にブルマーが優勢になっていきました。


余談

ちなみに、ブルマーが誕生した1850年代は、現在に通じるアイテムが続々誕生した年代。セーラー服(英国エドワード王子の幼少時代の子供服が端緒)、ブレザー(ケンブリッジボートクラブのユニフォーム、 大型帆船 ブレザー号の船員ジャケット)は、いずれも同じ時期に登場しています。

 




 
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