ミュージアム・研究室

  • 学ぶスタイルの変遷
  • 飛鳥・奈良~鎌倉時代
  • 江戸時代
  • 明治・大正
  • 昭和・平成
  • 来館者の感想
  • 日本のユニフォーム
  • 学校制服
  • 体操服
  • 軍服
  • 職業制服
  • JAL客室乗務員
  • 英国のユニフォーム
  • 学校制服
  • 海軍制服
  • 王室近衛兵
  • 職業制服
  • ユニフォーム研究室概要
  • 学校向け制服情報誌 Schooler
  • 制服着こなしセミナー
  • 思い出ユニフォーム
  • ユニフォームミュージアム見学
  • 制服の気になること、なんでもコラム ユニホームぽけっと
  • トンボ歴史資料館 八正館

思い出ユニフォーム

子どものころから育んだ「大きな夢」をかなえた先輩たちに、
学生時代や制服の思い出を語っていただきました。

大人になっても忘れられない、学生時代の思い出の名シーンを彩る制服。初めて着た日の悦びや誇らしさ、夢に向かって走り続けた日々、卒業の涙…。すばらしい青春の記憶とともにある制服だからこそ、「トンボ」は、本当に優れた制服だけをお届けしたいと心から願い、努力を続けています。

益子直美 さん
バレーボールとセーラー服
制服の思い出…やはり初めて制服を着た中学生の時。中学からバレーを始め、3年間で身長が約12cmも伸び、スカートの丈を何度伸ばしたか!私の時代はスカートの丈が長いと“不良”と見られてしまうので(笑)一気に伸ばすわけにもいかず、その度に母に少しずつ丈を出してもらっていました。そして1年生の頃にはまだバレー部の毎日のキツイ練習に慣れず、家に帰って制服のままリビングのソファでバタンキュー!!そのまま朝を迎えくしゃくしゃの制服のまま、朝練に行く、ということを何度繰り返したことか…!制服の思い出=青春の思い出ですね!
村田兆治 氏
制服と青春の思い出
小学校5年生の時に父に連れて行ってもらったプロ野球観戦がきっかけで、私は“将来はプロ野球の選手になる”という志を持った。中学から高校生まで、その志のおかげで“夢と希望”にあふれていた。学生服を見ると夢に向かった当時の自分の姿がよみがえる。写真は昭和42年、ドラフト1位でオリオンズ入団記者会見のひとコマ。学生服最後のシーンで、今でも心に刻んでいる感動の瞬間だ。
山口良治 氏
制服の思い出
誰もが遠い昔を振り返る時、金ピカのボタンがついた丸襟の学生服を着て通った小学校の頃を思い出すだろう。毎日の激しい遊びで汚したり、破いたり…よく袖口で鼻を拭いたっけ…中学・高校・大学はツメ襟の学生服、昔はどこも画一化された同じ学生服だった。おしゃれ心が出てきて、他の人よりいかに格好良く着るか悩んだことも…懐かしいな…現在では制服も著しく進化して、デザインやカラーもとてもすばらしいものになってきている。制服に憧れて学校を選ぶ人もいるやに聞いている。素敵な制服はいつまでも心に残り、その制服に誇りが持てる教育をしてもらいたいと願うものである。
中垣内祐一 氏
制服と青春
中学に入学した時は158cm。そして高校に入学した時は187cm。高校を卒業する頃には192cm程になりました。正確には記憶していませんが、着るもの、履くもの全てがあっという間に小さくなっていったような気がします。福井の片田舎ではなかなか体に合う大きいサイズが見つけられず、いつも袖が短くて堂々と出来ず、身長は大きいコンプレックスでした。皆と同じ様に制服を格好良く着たいと思ったものです。その後バレーボールを始めて身長を自信に繋げることができました。しかし、中学2年で175cmだった頃のズボンと、今193cmのズボンの丈が全く同じなのにはどこか納得がいきません。
逸見晴恵 さん
夫婦と学生服の思い出
主人の逸見政孝と出会ってから、早大時代の1枚の写真を見せてもらいました。高下駄を履き、角帽をかぶった学生服の写真です。「もてなかった」と笑っていましたが、主人にとっては大好きな写真だったようです。私自身は中学でVのノーカラー、高校でダブル型の制服を着ていました。平成教育委員会での主人の制服姿が印象に残っていると思いますが、出演が決まった当初は、先生役だと思っていたのです。そうしたところ、実は学生役ということで、自ら学生服の着用を提案しました。年をとってこんなに制服が似合うのは自分だけだと張り切っており、母校の講演会にもその姿で登場し、盛り上がっていました。
北原照久 氏
誇りとなった学生服
4人兄弟の末っ子として生まれましたが、出来の良い兄姉たちに囲まれ学校では比較され続けていました。中学時代は先生に「成績の良い人達の邪魔をしないように」などと言われ、学校にもほとんど通わず尖っていましたね。父の助言もあり高校に入学することができましたが、そこで大きな出会いがありました。とても褒めてくれる担任の先生で、「やればできる」「人間はいつでも変わることができる」と教えてくれたのです。ですから、高校時代は学生服のボタンもバッチも私の誇りでした。今は講演で学校へ行きますが、やっぱり学生服はかっこいいですし、大事なものだと感じています。
服部幸應 氏
こだわりのデザイン
小・中学生の頃は体が弱く病気がちで線の細い子どもでしたが、大学時代に欧米諸国を訪れる間に、写真のようにすっかり健康になりました。私は学習院の初等科、中等科を卒業しましたが、その時の学生服が濃紺で立て襟、金ボタンではなくホックで留めるタイプのもので、私が現在着用しているものに似ています。今考えると立て襟の服を着るのは、潜在意識がそうさせているのかもしれません。25年ほど前に、ある百貨店の関係者が昔ファッションショーで残っていた服を用意してくれたのです。数年後自分でデザインしました。当時は、年上の方々と仕事をする時に怪訝な顔をされたものでしたが、1995年にベストドレッサー賞をいただいてからはまわりの目を気にしなくなりました。今ではすっかり定着しています。
見城美枝子 さん
地上30㎝、思い出のスカート丈
中学は私服でしたので、制服着用の高校時代は、人生の貴重な思い出です。友人同士でスナップを撮ることが多く、当時の写真は多く残っています。スカートの長さは地上から30㎝丈、街を歩く際は制服着用と決まっていたので、友人同士で並んで歩いていると、どこから見ても全員のスカートの長さが揃うようになっていました。歴史ある学校で、制服はとてもシンボリックなものでした。厳しい校則でしたが、とてもよく育てていただき、生きる道筋を立てて頂いたことに感謝しています。自分で、夏の白いブラウスを1着縫うことが伝統で、割烹着も縫ったことがあり、今でもとても思い出に残っています。
泉麻人 氏
地域に根付いた学生服
中学は基本的には私服でしたが、式典の時などのためにオーソドックスな金ボタンの学ランもあり、高校は3年間着用していました。1学年900人ほどの男子校で、駅と学校の間はまるで蟻の大群が歩いているようでした。私の学校ではズボンの裾回りを縮めて履くのが流行っていて、私も16㎝くらいにしたところ、なかなか脱げずに苦労しました。学ランの下は、VANのボタンダウンが定番でしたね。当時は息苦しくも感じていた学生服ですが、今でもローカル線に乗った時など昔からある学生服の看板を見かけると、学生服は地域に根付いていることを感じますし、当時の写真を見ると青春時代の風景や流行っていた歌などが思いだされます。

ページのトップへ戻る